ブルズ黄金期前期:フィル・ジャクソンと三角形の魔法
長年チームを引っ張りながらも優勝に届かなかったジョーダンにとって、転機となったのが1989年のフィル・ジャクソンのヘッドコーチ就任でした。
ジャクソンが採用した「トライアングル・オフェンス」は、ジョーダンの個人能力を最大限に活かしながら、スコッティ・ピッペンら周囲の選手も機能させる戦術でした。
1990-91シーズン、ブルズはついにNBAファイナルへ進出。
ロサンゼルス・レイカーズをシリーズ4勝1敗で下し、悲願の初優勝を遂げます。
ジョーダンはファイナルMVPを受賞し、個人タイトルとチームの栄光を初めて同時に手にしました。
翌1991-92シーズンは、ポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で破り連覇に成功。
1992-93シーズンにはフェニックス・サンズ相手に4勝2敗で下して3年連続の制覇(スリーピート)を達成しました。
いずれのシーズンもジョーダンがファイナルMVPを受賞しており、「勝負の場になるほど輝く男」という評価を揺るぎないものにしました。
最初の引退と野球転向——父の死が変えた人生の方向
1993年10月、チャンピオンの座にあったジョーダンは突然の引退を発表します。
その背景には、1993年夏に起きた父ジェームズ・ジョーダン氏の死がありました。
二人は非常に親密で、父の夢でもあった野球への挑戦をジョーダンは選びます。
バーミンガム・バロンズ(ホワイトソックスのマイナーリーグ傘下)に入団し外野手として取り組んだ野球生活は、現実の厳しさを突きつけるものでした。
打率.202という数字が示す通り、野球の世界ではNBAの頂点に立った男も一人の新人に過ぎませんでした。
それでも彼は手を抜かず1994-95シーズンは独立リーグにも参加するなど、本気で野球に向き合い続けました。
電撃復帰と2度目のスリーピート:円熟の王者
1995年3月、ジョーダンは「I’m back.」という簡潔なリリースとともに現役復帰を宣言します。
ブルズに戻った彼は、その年のプレーオフにてオーランド・マジックに敗れ優勝には届かなかったものの、翌1995-96シーズンには激しくチームを鍛え直します。
1995-96シーズンのブルズは当時のNBA新記録となるレギュラーシーズン72勝10敗を達成。
シアトル・スーパーソニックスとのファイナルを4勝2敗で制し4度目の優勝を果たしました。
続く1996-97シーズンはユタ・ジャズとのファイナルで「フルー・ゲーム」として語り継がれる第5戦での熱演が特に有名です。
高熱と体調不良を押して38得点を挙げ、チームを勝利に導いた一戦は、ジョーダンの精神力を象徴する場面として今も語り継がれています。
1997-98シーズンのファイナルも同じくユタ・ジャズとの対戦となりました。
第6戦、残り5.2秒でジョーダンはカール・マローンからボールを奪い、そのまま右のジャンプショットでリードを奪う「ラストショット」を決め優勝を確定させます。
このシーズンをもってジョーダンは2度目の引退を発表。6回の優勝、6回のファイナルMVP受賞という完璧な幕引きでした。















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