マジックジョンソン:ノールックパスを世界中に広めたレイカー

 

1980年代以降にNBAでプレイした選手の中で、最も有名な選手の1人にも挙げられるマジックジョンソン。

本名はアービンジョンソンで、マジックは得意としたノールックパスなどからそのプレイがマジックのようなことから名付けられました。

ノールックパス

 

今では日本の小学生の試合でも見ることの出来るノールックパスですが、当時多用するプレイヤーは少なく、マジックジョンソンのプレイは世界に衝撃を与えました。

ノールックパスはバスケットにおいてパスで魅せたり、アシストがより評価される要因となったプレイであり、それがマジックの存在であったことは間違いありません。

マジックジョンソンのノールックパス

 

マジックジョンソンのノールックパスは他のパスセンスに溢れた選手とは少し雰囲気が違うと感じたことがある方もいるかもしれません。

ノールックパスと言っても実際には横目で見えているところに出すことが多いのですが、マジックのパスは味方の動きを予想して出しているとインタビューで見たことがあります。

ハーフコートバスケットくらいなら経験のある方もいる思いますが、味方がディフェンスリバウンドを取った時から位置取りで動くラインが全て分かるんだとか・・・

実際のところはどうか分かりませんが、そう考えながら動画を見ると、確かにいっていることもまんざらではない気がします。

 

 

 

ビックガード

 

NBAの中でもポイントガードとしては長身と言える、206cmだったこともパスの視野を広く持てた要因だったかもしれません。

バスケットにおいてどのポジションでも身長は大きければ大きいほどいいというのは間違いないので、ポイントガードとして206cmながらドリブルを含めたハンドリングやアウトサイドシュート、スピードを兼ね備えていたのもマジックジョンソンが世界中で注目を集めた要因のひとつでしょう。

日本でも背の高いプレイヤーはどうしてもインサイドにさせられる傾向がありますが、そこは当時のアメリカでも変わらない中、マジックの才能を高校や大学のコーチ陣が見抜き、ポイントガードとして起用し続けたのもマジックジョンソンを生んだきっかけと言えます。

 

 

NBAキャリア

 

NBA入団後も、チームにカリームアブドルジャバーがいたことから、アウトサイドでプレイすることが許され、ルーキーイヤーからチャンピオンリングを獲得し、ファイナルではジャバーの欠場もありNBA史上唯一のルーキーイヤーでのファイナルMVPを獲得しています。

 

 

また、マジックはその後引退までに合計で5度のチャンピオンリングと3つのファイナルMVPを獲得しています。

 

 

個人的なスタッツで見ると、4年目にはシーズン平均10.5アシストを記録しアシスト王に輝くと、その年から引退する1991年まで9年間、2ケタアシストを切ることはありませんでした。

また、得点もキャリア平均で19.5得点としていて、その身長からリバウンドは7.2本とコート上でマジックの姿を見ないシーンの方が少なかった印象です。

 

 

ラリーバードの存在

ラリーバードとはライバルとされ数多くの名シーンを飾って来ましたが、ファイナルでの直接対決も話題となりました。

高い身長でありながら身体能力ではなく、技術やイメージに長けた2人の選手は1980年代のバスケットの象徴とも言え、アジア系のプレイヤーも学ぶべき点は非常に多いといえます。

 

 

 

 

マイケルジョーダンへの世代交代

 

10年以上リーグを牽引してきたマジックジョンソンは、自身9度目となるファイナルでマイケルジョーダン率いるシカゴブルズと対戦しました。

マイケルジョーダンは初のファイナルでしたが、レイカーズは1-4で敗れ世代交代を感じたファンも少なくありませんでした。

HIV感染

身体的にも絶頂期を迎えていた31歳のシーズンを最後にマジックジョンソンはHIV感染を理由にNBAを引退しますが、世界的なスポーツ選手がエイズを理由に引退を表明するのは前例がなく日本でも話題となりました。

また、その原因が不特定多数の女性と関係をもち、どの時点で誰と性交渉をして感染したのか分からないと自伝で告白したことでショックを受けたファンも少なくありません。

それでも、HIVに対しての様々な活動や、マジックジョンソンオールスターズを率いてその後も日本などでもプレイを見せてくれました。

少し話が逆戻りしますが、HIV感染と引退を表明した後におこなわれた1992オールスターゲームにマジックジョンソンは出場していて、25得点9アシストでMVPを獲得しています。

 

 

入場シーンからとんでもないメンバーが揃い踏みですが、最後のアイザイアトーマス、マイケルジョーダンとの1on1シーンはホントに伝説的な場面と言えます。

その後、1995-96シーズンには4シーズン振りにリーグ復帰を果たし活躍を見せましたが、選手間で観戦を危惧する声も挙がり1シーズンで再び引退しています。

 

 

 

ドリームチーム1

その後、同じ1992年夏におこなわれたバルセロナオリンピックにドリームチーム1のメンバーとしてアメリカ代表に参加したマジックジョンソンは、ラリーバード、マイケルジョーダン等と共に圧倒的な強さで金メダルを獲得しています。

当時の他国は現在より強くなかったことは事実ですが、どのUSA代表がいちばん強いのかと考えるのもつまらなく思えるくらい夢のあるチームでした。

 

 

マジックジョンソンの現在

その後、医療の発展もあってかHIVの症状は抑えられているようで、ツイッターでもツイートや写真を確認することが出来ます。

今後もバスケットやHIV感染者のために様々な活動で活躍してくれることでしょう。

キャリアスタッツ

レギュラーシーズン

シーズン年齢チーム出場試合出場時間得点リバウンドアシストFG確率3PT確率FT確率スティールブロックTO
79-8020LAL7736.318.07.77.353.0%22.6%81.0%2.40.54.0
80-8121LAL3737.121.68.68.653.2%17.6%76.0%3.40.73.9
81-8222LAL7838.318.69.69.553.7%20.7%76.0%2.70.43.7
82-8323LAL7936.816.88.610.554.8%0.0%80.0%2.20.63.8
83-8424LAL6738.317.67.313.156.5%20.7%81.0%2.20.74.6
84-8525LAL7736.118.36.212.656.1%18.9%84.3%1.50.34.0
85-8626LAL7235.818.85.912.652.6%23.3%87.1%1.60.23.8
86-8727LAL8036.323.96.312.252.2%20.5%84.8%1.70.53.8
87-8828LAL7236.619.66.211.949.2%19.6%85.3%1.60.23.7
88-8929LAL7737.522.57.912.850.9%31.4%91.1%1.80.34.1
89-9030LAL7937.222.36.611.548.0%38.4%89.0%1.70.43.7
90-9131LAL7937.119.47.012.547.7%32.0%90.6%1.30.24.0
91-9232
92-9333
93-9434
94-9535
95-9636LAL3229.914.65.76.946.6%37.9%85.6%0.80.43.2

 

プレイオフ

シーズン年齢チーム出場試合出場時間得点リバウンドアシストFG確率3PT確率FT確率スティールブロックTO
79-8020LAL1641.118.310.59.451.8%25.0%80.2%3.10.44.1
80-8121LAL342.317.013.77.038.8%65.0%2.71.03.7
81-8222LAL1440.117.411.39.352.9%0.0%82.8%2.90.23.1
82-8323LAL1542.917.98.512.848.5%0.0%84.0%2.30.84.3
83-8424LAL2139.918.26.613.555.1%0.0%80.0%2.01.03.8
84-8525LAL1936.217.57.115.251.3%14.3%84.7%1.70.24.0
85-8626LAL1438.621.67.115.153.7%0.0%76.6%1.90.13.2
86-8727LAL1837.021.87.712.253.9%20.0%83.1%1.70.42.8
87-8828LAL2440.219.95.412.651.4%50.0%85.2%1.40.23.5
88-8929LAL1437.018.45.911.848.9%28.6%90.7%1.90.23.8
89-9030LAL941.825.26.312.849.0%20.0%88.6%1.20.14.0
90-9131LAL1943.321.88.112.644.0%29.6%88.2%1.20.04.1
95-9636LAL433.815.38.56.538.5%33.3%84.8%0.00.03.0

 

 

年齢62歳
身長206cm
体重105kg
国籍アメリカ

 

経歴

マジックジョンソンの主な経歴
  • 1959.08
    アメリカミシガン州ランシング生まれ
    62年前
  • 1977
    ミシガン州立大学入学
  • 1979
    NCAAチャンピオン
  • 1979
    ドラフト1位でレイカーズ入団
  • 1980
    オールスターゲーム出場
    計12回 1980,1982-1992
  • 1980
    NBAチャンピオン
    計5回 1980,1982,1985,1987,1988
  • 1980
    ファイナルMVP
    計3回 1980,1982,1987
  • 1983
    アシスト王
    計4回 1983,1984,1986,1987
  • 1987
    シーズンMVP
    計3回 1987,1989,1990
  • 1992
    引退
    HIV感染を表明
  • 1992
    バルセロナオリンピック
    ドリームチーム1の一員として金メダル獲得
  • 2002
    殿堂入り
  • 2017
    レイカーズ球団社長に就任