その圧倒的なパワーとビッグプレイヤーに似つかわしくない身体能力でNBAのリング下をながきに渡り支配したシャキールオニール。
シャキールオニールのバスケットのプレイスタイルを好まない人はいてもその事実を否定できる人は少ないでしょう。
マジック時代
通称シャックとして親しまれ日本でも人気の高かったプレイヤーですが、ドラフト1位でマジックに入団した時からその実力はいかんなく発揮されました。
初年度から14シーズンに渡り平均得点20得点以上、13シーズン10リバウンド以上という成績を残します。
マジックではペニーことアンフィニーハーダウェイの入団後チームは更なる躍進をみせ、ファイナルへも進出しています。
シャックはNBAへ入団後僅か3年で自身の活躍によりチームをファイナルへと導き、レギュラーシーズンでは平均29.3得点で初の得点王に輝きました。
若いです。まだまだ細いですし、マジックのユニフォーム姿が一番好きというファンの方も多いようによく似合ってます。
どれも素晴らしいプレイでしたが、相手の面子がやばいです・・・
ムトンボにロビンソン、モーニングにオラジュワンまで・・・
NBAを代表するセンタープレイヤーを相手にあれだけのプレイが出来るセンターもそうはいないでしょう。
レイカーズ時代
結局マジックでは先程のファイナル出場が最高成績で、FAとなったシャックはレイカーズへと移籍します。
当時まだコービーブライアントもルーキーで、思ったようにチームもまとまらずウェスタンカンファレンスではロケッツ、スパーズ、ジャズといった強豪ぞろいでカンファレンスファイナル進出がやっとという状況でした。
それでもシャックはシーズン平均25得点以上という成績をレイカーズに入団してから7年間も継続しています。
転機となったのはマイケルジョーダン率いるシカゴブルズを6度のチャンピオンに導いたフィルジャクソンがヘッドコーチに就任した年でした。
コービーブライアントもその年からシーズン平均得点を20得点代に乗せ、チームは一気に飛躍しファイナル進出と共にシャックは自身初となるチャンピオンリングを獲得します。
さらにその翌年、翌々年もチャンピオンとなり見事にスリーピートを達成します。
シャック自身も3年連続ファイナルMVPというシャック以外ではマイケルジョーダンしか達成していない偉業を成し遂げます。
まさにシャックの全盛期といえ、身体的にもメンタル的にも経験的にも熟成していました。
ダブルチームを仕掛けてもシャックを止められない相手チームは、フリースローが苦手だったシャックにボールを持っていないところでもかまわずファールしてフリースローをうたせるハックザシャックという戦術が生まれたほどでした。
ヒート時代
その後コービーとの不仲説もささやかれフィルジャクソンと共にレイカーズを去ったシャックはドウェインウェイドの在籍するマイアミヒートへ移籍します。
この時シャックは32歳でしたが、レイカーズで3ピートした時とは明らかに身体面の低下が見られました。
しかしその経験値でウェイドをサポートするようなプレイに徹することでよりその力はチームで発揮され、移籍後2年目には自身4度目となるチャンピオンリングを獲得しその存在感を世界中にしらしめました。
ヒートから移籍後
その後は故障をともない本来の姿とはいえないプレイが続きました。
それでも並大抵のセンターでは止められず、ヒートからサンズ、キャブス、セルティックスと移籍を重ね各チームで相応の活躍を見せています。
そして2011年、39歳で引退を表明します。
あの体型で39歳までNBAの第一線でプレイできたということに驚きを隠せないというのが本音です。
それほど持って生まれた身体能力や身体の強さに加えて自身のトレーニング、周りのサポートが素晴らしかったという証でしょう。
数え切れないほどNBA史上に残る記録の持ち主ですが、ファンの記憶にはさらに強く残っているNBAの歴史を変えたセンターと言えるでしょう。
シャキールオニールのバッシュ
シャキールオニールは当時リーボックとスポンサー契約を交わしており、シャックアタックというシリーズが発売されていました。
ポンプを搭載したシリーズなど懐かしい方も多いのではないでしょうか?!
経歴
- 1972アメリカ ニュージャージー州生まれ48年前
- 1990ルイジアナ州立大学入学
- 1992ドラフト1位でマジック入団
- 1993オールスターゲーム出場計15回 1993-1998,2000-2007,2009
- 1993新人王
- 1994FIBAワールドカップアメリカ代表として金メダル獲得。大会MVP獲得
- 1995得点王計2回 1995,2000
- 1996アトランタオリンピックアメリカ代表として金メダル獲得
- 1996レイカーズへ移籍
- 2000シーズンMVP
- 2000NBAチャンピオン計4回 2000-2002,2006
- 2000ファイナルMVP計3回 2000-2002
- 2004ヒートへ移籍
- 2008サンズへ移籍
- 2009キャブスへ移籍
- 2010セルティックスへ移籍
- 2011引退