フィルジャクソンHCの就任と初リング
1999-2000シーズン前にシャキールオニールとコービーブライアントという2大スターを抱えながら強豪犇くウェスタンカンファレンスを中々制覇できなかったレイカーズは、マイケルジョーダン等と共に6度のチャンピオンに輝いたフィルジャクソンをヘッドコーチに招き入れます。
トライアングルオフェンスの中でシャック&コービーは躍動し、ディフェンス面においてもフィルジャクソンに指導を受けたコービーブライアントは新化を遂げフィルジャクソン就任初年度から念願の初優勝を遂げます。
また、この年はじめてシーズン平均得点を20点台に乗せたコービーブライアントはそこから怪我で6試合の出場にとどまった2013-14シーズンまで14年連続で平均20得点をキープしました。
30点台も3度、最高平均得点は35.4得点とまさにNBAを代表するスコアラーとしてその実力をいかんなく発揮していきます。
スリーピートと王者の崩壊
初優勝を果たしたシーズンから3連覇を成し遂げたレイカーズは、当時まさに無敵とも言える存在感があり、今考えてもコービーとシャックが同じコートに立っていることの凄さを痛感します。
しかし、その一方でコービーとシャックの不仲説というものが日本にまで届いていました。
実際のところはどこまで報道されていることが真実か定かではありませんが、シャックの移籍やフィルジャクソンの退団などコービーが原因でレイカーズが動かざる得なかったことはホームゲームでコービーがブーイングを浴びる姿などを見ても間違い無さそうです。
フィルジャクソンは退団後1年でレイカーズのヘッドコーチに再就任していますが、シャックがヒートへ移籍してからレイカーズが再度王座に返り咲くには5年の月日がかかりました。
もちろんコービーブライアント1人の力ではありませんが、その5年の中に先程書いた35.4得点のシーズンもあり、どれだけコービーブライアントが奮起していたかということはその数字からも見てとることが出来ます。
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