Bリーグのコート上で、ひときわ異彩を放つクリエイティビティと、観客の意表を突く変幻自在なプレーで「ファンタジスタ」と称されるのが、並里成(なみざと・なりと)選手です。
沖縄県が生んだ稀代のポイントガードは、日本人離れしたボールハンドリングと高いバスケットボールIQを武器に、長年日本バスケ界の第一線で活躍し続けてきました。
本記事では、彼が歩んできた波乱万丈なキャリアと、ベテランとなった今なお進化を続けるその軌跡を詳しく辿ります。
福岡第一高校での活躍と「スラムダンク奨学金」第一号
並里選手の伝説は、福岡の名門・福岡第一高校時代から始まります。
1年時からスターターとしてコートに立ち、2005年のウインターカップでは卓越したセンスを披露してチームを全国制覇へと導きました。
小柄な体格ながら、屈強な留学生や年上の選手を翻弄するその姿は、当時の高校バスケ界に衝撃を与えました。
高校卒業を控えた2008年、彼は漫画家・井上雄彦氏が創設した「スラムダンク奨学金」の第1期生に選出されます。
これは、アメリカのプレップスクールへ留学し、本場の環境で挑戦を支援する制度です。
この経験により、並里選手は世界基準のフィジカルやスピードを肌で感じ、自身のプレースタイルにさらなる深みを持たせることとなりました。
プロ入りと飽くなき海外への挑戦
帰国後の2009年、当時JBLに所属していたリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に入団し、プロとしてのキャリアをスタートさせます。
田臥勇太選手という偉大な先輩の傍らでプロの技術を吸収し、新人王争いにも絡む活躍を見せました。
しかし、彼の挑戦心は国内に留まりませんでした。
2011年には地元・沖縄の琉球ゴールデンキングスへ移籍し、bjリーグ制覇に大きく貢献しましたが、その後もNBA挑戦のために渡米を繰り返します。
ドリューリーグに参加するなど、日本人ガードとして世界の壁に挑み続ける姿勢は、多くのファンや後進の選手たちを勇気づけました。
Bリーグ開幕と琉球での「黄金期」
2016年のBリーグ開幕以降、並里選手は滋賀レイクスターズ(現・滋賀レイクス)でのプレーを経て、2018年に再び古巣である琉球ゴールデンキングスに復帰します。
この復帰は、地元沖縄のファンを熱狂させただけでなく、チームをリーグ屈指の強豪へと押し上げる原動力となりました。
針の穴を通すような鋭いパスや、勝負所で自ら得点をもぎ取るクラッチシュートは、琉球の「負けない文化」の象徴となりました。
その後、2022年には群馬クレインサンダーズへ移籍し、新興チームの柱としてその経験を惜しみなく発揮しました。
ファイティングイーグルス名古屋での新たな境地
2024-25シーズンからは、ファイティングイーグルス名古屋(FE名古屋)へと新天地を求めました。
2026年現在、36歳となった並里選手ですが、その輝きは衰えるどころか、ベテラン特有の円熟味を増しています。
FE名古屋では、若いチームを牽引するリーダーとしての役割を担いながら、試合の流れを支配する司令塔として君臨しています。
スタッツ上の数字以上に、彼がコートにいるだけで生まれる「リズム」や「安心感」は、チームにとって代えがたい財産です。
2025-26シーズンも契約を継続し、勝負の重要局面で繰り出されるノールックパスやフローターシュートは、今なおアリーナの観客を総立ちにさせています。
まとめ:日本バスケ界に刻み続ける「唯一無二の記憶」
並里成選手のキャリアを振り返ると、それは常に「自分にしかできないプレー」を追求し続けた歴史であったと言えます。
高校時代の華々しい全国制覇から、日本人としての先駆的な海外挑戦、そしてBリーグでの長きにわたる活躍。
彼が歩んだ道は、日本のポイントガードが備えるべき技術と創造性の基準を引き上げました。
単なる勝利だけでなく、観る者をワクワクさせる「華」のあるプレーヤー。
ベテランの域に達してもなお、少年のようにバスケットボールを楽しみ、常に驚きを提供してくれる並里選手の旅路は、これからも日本バスケットボールの歴史に深く刻まれていくことでしょう。
















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