2026年現在、日本のバスケットボール界は未曾有の熱狂の中にあります。
B.リーグのさらなる発展と、日本代表の世界舞台での躍進。その中心には、かつて世界最高峰のNBAで6シーズンにわたり戦い抜いた一人の男、渡邊雄太選手の存在があります。
彼のキャリアは、単なる「才能」の物語ではありません。
それは、周囲からの懐疑的な声を結果で黙らせ、泥臭く「努力」を積み重ねてきた一人の挑戦者の記録です。
日本人として2人目のNBA出場を果たし、その後も本契約を勝ち取り、リーグトップクラスの3ポイントシュート成功率を記録するまでになった渡邊選手。
彼がアメリカの地でどのようにして生き残り、そして日本バスケ界にどのような遺産を残したのか、その激動のキャリアを振り返ります。
渡米と大学時代の試練
渡邊選手のバスケットボール人生は、香川県から始まりました。
高校時代から注目を集めていた彼は、卒業後、周囲の反対を押し切って単身アメリカへ渡る決意をします。
目指したのは、NCAAディビジョンIのジョージ・ワシントン・ユニバーシティ(GWU)でした。
当時の日本において、高校から直接アメリカの大学へ進み、トップカテゴリーでプレーすることは極めて異例の挑戦でした。
しかし、彼は持ち前の守備力と勤勉さを武器に、4年間でチームの主力へと成長します。
最終学年にはアトランティック10カンファレンスの「最優秀守備選手賞」を受賞。
ディフェンスを高く評価される形で、NBAという夢の舞台の入り口に立ちました。
崖っぷちからのスタート:メンフィスとトロントでの奮闘
2018年のNBAドラフトで名前を呼ばれなかった渡邊選手でしたが、彼の挑戦はそこからが本番でした。
メンフィス・グリズリーズと「2ウェイ契約(NBAと下部Gリーグを行き来する契約)」を結び、日本人として田臥勇太選手以来14年ぶりとなるNBAのコートに立ちました。
しかし、NBAの壁は高く、出場時間は限られたものでした。
2020年にはトロント・ラプターズへ移籍。
ここでも2ウェイ契約からのスタートでしたが、彼は「誰よりも早く練習場に来て、誰よりも激しくディフェンスをする」という姿勢を貫きました。
その献身的なプレーが当時のニック・ナースHCの信頼を勝ち取り、2021年4月、ついに念願の「NBA本契約」を勝ち取ります。
この時期、アンソニー・エドワーズから強烈なポスタライズ・ダンクを見舞われるシーンが世界中で拡散されましたが、渡邊選手は「ブロックに行かないという選択肢はなかった」と語りました。
その逃げない姿勢こそが、NBAのスカウトたちが彼を高く評価する最大の理由でした。
ブルックリンでの覚醒:リーグNO.1の3ポイントシューターへ
渡邊選手のNBAキャリアにおいて、最も華やかな輝きを放ったのが2022-23シーズンのブルックリン・ネッツ時代です。
無保証キャンプ招待契約からスタートしたものの、開幕ロスター入りを果たすと、ケビン・デュラントやカイリー・アービングといったスーパースターたちと絶妙な連携を見せました。
コーナーからの3ポイントシュートが面白いように決まり、一時は「3ポイントシュート成功率リーグ1位」に躍り出るなど、全米の注目を浴びる存在となりました。
デュラントが「雄太はチームに欠かせないエネルギーだ」と公言し、得点後にベンチで仲間たちが渡邊選手のポーズを真似る光景は、日本のファンに大きな感動を与えました。
このシーズン、彼は「NBAで通用するロールプレーヤー」としての地位を完全に確立したのです。
苦悩と葛藤:フェニックス、そして古巣メンフィスへの帰還
2023年のオフ、渡邊選手は親友でもあるデュラントに誘われる形でフェニックス・サンズと複数年契約を結びます。
しかし、チームの戦術変更や自身の負傷も重なり、思うような出場時間を得られない苦しい時期が続きました。
2024年のシーズン途中にトレードで古巣メンフィス・グリズリーズへ復帰。
若手主体のチームでベテランとしての役割を期待されましたが、ここでも怪我の影響によりコートに立つ時間は限られました。
NBAという世界は、一度リズムを崩せばすぐに居場所が危うくなる過酷な世界です。
渡邊選手は精神的にも肉体的にも極限まで自分を追い込みながら、最後までNBAのコートで戦う道を模索し続けました。
決断の2024年:日本帰国とB.リーグへの衝撃
2024年夏、渡邊選手は大きな決断を下します。
6年間守り続けたNBAの舞台を離れ、日本国内のB.リーグでプレーすることを発表したのです。
このニュースは日本バスケ界にとって、過去最大の衝撃となりました。
彼は移籍先に千葉ジェッツふなばしを選び、2024-25シーズンから日本のファンの前でそのプレーを披露することとなりました。
「NBAに居続けること」よりも「バスケットボールを心から楽しみ、日本のバスケを盛り上げること」を選んだ彼の決断は、多くの人々に支持されました。
B.リーグでの彼は、NBA仕込みのディフェンスとシュート力だけでなく、リーダーシップを発揮してチームを牽引。
会場は常に満員となり、渡邊雄太という存在が日本のスポーツビジネスに与える影響の大きさを証明しました。
日本代表としての誇りと現在の立ち位置
渡邊選手のキャリアを語る上で、日本代表(AKATSUKI JAPAN)での活動は欠かせません。
2023年のワールドカップでは、大会前に「パリオリンピック出場を逃したら代表を引退する」という不退転の決意を表明し、チームをアジア1位へと導きました。
2026年現在、渡邊選手は31歳。
B.リーグでの圧倒的なパフォーマンスを維持しつつ、日本代表の精神的支柱として、次なる国際大会を見据えています。
NBAで培った「世界基準」を国内に還元し、若手選手たちに「どうすれば世界で戦えるのか」を背中で示し続ける彼の姿は、かつてアメリカへ渡った時の孤独な挑戦者ではなく、日本バスケ界の未来を担う偉大なリーダーのそれです。
彼の歩んできた道は、後に続く河村勇輝選手や富永啓生選手といった若き才能たちにとって、最も信頼できる道標となっています。
「1%の可能性があれば、それに賭ける」。
その信念を貫き通した渡邊雄太のキャリアは、今もなお、日本のバスケットボールの歴史を更新し続けています。
NBAキャリスタッツ
レギュラーシーズン
| シーズン | 年齢 | チーム | 出場試合 | 出場時間 | 得点 | リバウンド | アシスト | FG確率 | 3PT確率 | FT確率 | スティール | ブロック | TO |
| 18-19 | 24 | MEM | 15 | 11.6 | 2.6 | 2.1 | 0.5 | 29.4 | 12.5 | 70.0 | 0.3 | 0.1 | 0.4 |
| 19-20 | 25 | MEM | 18 | 5.8 | 2.0 | 1.1 | 0.3 | 44.1 | 37.5 | 37.5 | 0.3 | 0.1 | 0.1 |
| 20-21 | 26 | TOR | 50 | 14.5 | 4.4 | 3.2 | 0.8 | 43.9 | 40.0 | 82.8 | 0.5 | 0.4 | 0.4 |
| 21-22 | 27 | TOR | 38 | 11.7 | 4.3 | 2.4 | 0.6 | 40.6 | 34.2 | 60.0 | 0.3 | 0.4 | 0.4 |
| 22-23 | 28 | BRK | 58 | 16.0 | 5.3 | 2.4 | 0.8 | 49.1 | 44.4 | 72.3 | 0.4 | 0.3 | 0.3 |
| 23-24 | 29 | 2TM | 34 | 13.6 | 3.4 | 1.6 | 0.4 | 35.3 | 29.4 | 58.8 | 0.4 | 0.2 | 0.2 |
プレイオフ
| シーズン | 年齢 | チーム | 出場試合 | 出場時間 | 得点 | リバウンド | アシスト | FG確率 | 3PT確率 | FT確率 | スティール | ブロック | TO |
| 20-21 | 27 | TOR | 4 | 2.5 | 1.0 | 0.0 | 0.0 | 33.3 | 33.3 | 0.0 | 0.0 | 0.3 | |
| 21-22 | 28 | BRK | 1 | 5.0 | 3.0 | 1.0 | 0.0 | 50.0 | 75.0 | 0.00 | 0.0 | 0.0 | 1.0 |
| 年齢 | 31歳 |
| 身長 | 206cm |
| 体重 | 98kg |
| 国籍 | 日本 |























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