メンフィス・グリズリーズは2026年5月12日(火)、フォワードのブランドン・クラークが29歳で亡くなったと発表しました。
球団とエージェンシーのPriority Sportsが連名で訃報を伝え、グリズリーズは「ブランドンを失ったことに、私たちは心を打ち砕かれています。彼はコート上でも人間としても傑出した存在であり、組織とメンフィスのコミュニティへの影響は決して忘れられない」と声明を出しました。
死因の公式発表はまだありません。複数の法執行機関の情報筋によれば、ロサンゼルス消防局の救急隊員が月曜の夜、サンフェルナンドバレー内の住宅での911通報に対応しました。
到着時にはすでにクラークが亡くなっており、麻薬関連物質が現場で見つかっています。当局は薬物の過剰摂取の可能性として捜査を進めているとのことです。
バンクーバーからメンフィスへ
クラークはカナダのバンクーバー生まれ。一家がフェニックスに移ると、デザートビスタ高校でバスケットボールの腕を磨きました。
大学はサンノゼ州立から始まり、ゴンザガ大学へ転籍。
2019年のNBAドラフトではオクラホマシティ・サンダーに21位指名されましたが、即座にグリズリーズとのトレードでメンフィスに入りました。
そこから7シーズン、グリズリーズ以外のユニフォームを着ることなくキャリアを終えました。
ルーキーイヤーは平均12.1得点・5.9リバウンドという数字を残し、NBAオールルーキー・ファーストチームに選出されています。
ルーキー・オブ・ザ・イヤー投票でも4位でした。
主にベンチから試合に入る役割でしたが、フィールドゴール成功率60.5%という数字が物語るように、プレーに無駄がありませんでした。
スコアを取り、リバウンドを拾い、ブロックをし、チームに流れを呼び込む。
チームメイトのジャ・モラントはかつてこう語っています。
「リバウンドを取ったと思えば、次の瞬間には誰よりも速くコートを駆け上がってダンクを決めている。チームのために何でもやってくれる男だ」。
2021-22シーズン、グリズリーズが56勝でシーズンを終えた年も、クラークはその中心にいました。
アキレス腱断裂と復帰
2022年10月に複数年の契約延長にサインし、将来を約束されたように見えました。
だが翌2023年3月、デンバー・ナゲッツとの試合中に左アキレス腱を断裂しました。
翌シーズンは6試合の出場にとどまりました。2024-25シーズンは64試合まで持ち直しましたが、今シーズンは右膝の手術と右ふくらはぎの肉離れが重なり、出場は2試合のみ。
けがとの戦いが続く中でも、クラークは復帰を目指し続けました。
4月にはアーカンソー州で速度超過と規制薬物所持の容疑で逮捕されたことも報じられていました。
コートの外での活動
クラークは自身の財団を通じて、地元の家族や子どもたちへの支援活動を続けてきました。
特に読み書き能力の向上に力を注いでいたことは、地元メディアも繰り返し取り上げていました。
エージェンシーのPriority Sportsは声明の中でこう記しています。
「彼は誰よりも優しい人間で、友人や家族のために真っ先に駆けつけた。高校時代から、サンノゼ州立、ゴンザガ、そしてグリズリーズに至るまで、彼と関わったすべての人の人生に触れた。彼の存在がどれほど惜しまれるか、言葉では言い表せない」
NBAコミッショナーのアダム・シルバーは「グリズリーズの最も長きにわたるメンバーのひとりとして、ブランドンはチームメイトたちに愛されたリーダーだった。巨大な情熱とひたむきさでプレーし続けた」と述べました。
NBAプレイヤーズ・アソシエーションも「バスケットボールを超えたところで育んだ真の友情を、私たちは記憶し続ける」と声明を出しています。





















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