Bリーグの舞台で、B2から這い上がり、今や日本を代表する司令塔の一人として確固たる地位を築いたのが、三遠ネオフェニックス所属の佐々木隆成(ささき・りゅうせい)選手です。
卓越した得点能力と、チームを勝利へ導く冷徹かつ情熱的なゲームメイクで知られる彼は、多くの困難を乗り越えながらその才能を証明し続けてきました。
本記事では、山口県から始まった彼のバスケットボール人生を振り返り、プロ入り後の躍進、そしてトッププレイヤーとして歩んでいる現在のキャリアを詳しく解説します。
山口県豊浦高校から天理大学でのスキルアップ
佐々木選手のキャリアの根幹は、地元・山口県の名門である豊浦高校で形作られました。
高校卒業後は一度ハワイへの語学留学を経験するという、バスケットボール選手としては異色の経歴を持っています。
帰国後に進学した天理大学では、関西学生リーグでその攻撃的なプレイスタイルを遺憾なく発揮しました。
大学時代は、圧倒的なスピードを活かしたドライブと、勝負所で見せるアウトサイドシュートを武器に、リーグ屈指のスコアラーとして名を馳せました。
4年時の2019年には大阪エヴェッサに特別指定選手として加入し、プロのコートを初めて踏むこととなります。
この時期の経験が、後のプロ生活における高い意識と土台となりました。
熊本ヴォルターズ時代:B2で磨かれた「勝負強さ」
大学卒業後の2019-20シーズンから、佐々木選手はB2リーグの熊本ヴォルターズに加入します。
ここでの3シーズンは、彼がプロとしての「個の力」と「状況判断能力」を磨く重要な期間となりました。
熊本では主力ガードとして起用され、厳しいマークの中でも得点を量産。
B2というタフな環境で、チームを背負って戦う責任感と、40分間高い強度を維持し続けるスタミナを身につけ、B1の強豪クラブから注目される存在となりました。
三遠ネオフェニックスでの覚醒:B1最高峰のガードへ
2022-23シーズン、佐々木選手は三遠ネオフェニックスへ移籍します。
大野篤史ヘッドコーチのもと、三遠が志向するスピード感溢れる組織的なバスケットボールにおいて、彼はまさに「心臓」としての役割を担いました。
移籍2年目となった2023-24シーズン、三遠は中地区優勝を果たす快挙を成し遂げましたが、その中心には常に佐々木選手がいました。
続く2024-25シーズンには、個人としてもさらなる飛躍を遂げ、平均二桁得点を記録するとともに、B1のアシスト王を獲得。
さらに、リーグのベストファイブにも選出されるなど、名実ともに日本トップクラスのガードとしての評価を決定づけました。
ピック&ロールからの自在な展開は、対戦相手にとって最大の脅威となっています。
試練と復活:怪我を乗り越える不屈の精神
華々しい活躍の裏で、2025年以降、佐々木選手はプロキャリア最大とも言える試練に直面しています。
2025年5月のチャンピオンシップ・セミファイナルにおいて、左アキレス腱断裂という重傷を負いました。
全治6ヶ月から8ヶ月という長いリハビリを強いられましたが、彼は決して歩みを止めませんでした。
2025年12月には一度コートへの復帰を果たしたものの、直後に再び負傷するという過酷な状況に見舞われました。
しかし、2026年現在の彼は、三遠のリーダーとして、そして再び「暁ジャパン(日本代表)」のユニフォームを着るという目標に向けて、不屈の闘志で再起を目指しています。
コート外でもチームに影響を与え続けるその姿勢は、若手選手たちの模範となっています。
プレイスタイル:観客を魅了する「スカイウォーカー」
身長180cmと小柄ながら、佐々木選手の最大の特徴はそのアグレッシブさにあります。
果敢にゴールへアタックする姿勢と、そこから繰り出されるノールックパスやキックアウトは、三遠のオフェンスに爆発力をもたらします。
また、ガードでありながら高いシュート効率を誇り、特にクラッチタイム(試合終盤の接戦)での勝負強さはリーグでも指折りです。
守備でも献身的なプレッシャーをかけ続け、攻守において隙を見せない「2ウェイプレーヤー」としての側面も、彼が多くの指導者から高く評価される理由です。
まとめ:さらなる高み、日本代表への道
佐々木隆成選手の歩みは、順風満帆なエリートコースではありませんでした。
しかし、B2での研鑽、B1でのタイトル獲得、そして個人賞の受賞と、一歩ずつ確実に階段を上ってきたそのキャリアは、非常に重みがあります。
2026年、怪我という壁に挑み続ける彼の物語はまだ終わっていません。
三遠の再興、そして世界の舞台へ。
不屈のガードが再びコートで躍動し、勝利を呼び込むパスを供給する日はすぐそこまで来ています。彼のさらなる進化から、今後も目が離せません。















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