ジョシュ・ホーキンソン:日本代表のゴール下を支える絶対的センター

 

日本のバスケットボールファンから「鷹ちゃん(たかちゃん)」の愛称で親しまれ、日本代表のゴール下を支える絶対的な守護神となったジョシュ・ホーキンソン選手。

アメリカ・ワシントン州出身の彼が、なぜ海を渡り、日本という国を選び、そして帰化してまで日本代表のために戦う決意をしたのか。

1試合40分間フル出場も厭わない驚異的なスタミナと、献身的なプレースタイル、そして周囲を笑顔にする温かな人間性。

本記事では、ホーキンソン選手が歩んできたこれまでのキャリアと、日本バスケ界に与えた多大なる影響について詳しく振り返ります。

ワシントン州立大学での輝かしい実績と「ダブルダブル」の象徴

1995年6月23日、ワシントン州シアトルで生まれたホーキンソン選手は、幼少期からバスケットボールに親しむ環境にありました。

地元のショアウッド高校からワシントン州立大学(WSU)へと進学した彼は、そこで大学バスケ史に残る足跡を刻みます。

大学時代の彼は、得点とリバウンドの両方で2桁を記録する「ダブルダブル」の代名詞的な存在でした。

通算リバウンド数と通算ダブルダブル達成回数で大学記録を塗り替え、名実ともに看板選手として活躍。

身長208cmのビッグマンでありながら、柔らかいシュートタッチと高いバスケIQを兼ね備えていた彼は、当時からすでに現代的なセンターとしての片鱗を見せていました。

大学卒業後、彼はプロとしてのキャリアをスタートさせる地として、自らのルーツとは異なる日本を選びます。

B2リーグからの出発:ファイティングイーグルス名古屋での適応

2017年、ホーキンソン選手が最初に降り立ったのは、当時B2リーグに所属していたファイティングイーグルス名古屋でした。

多くのNBA候補生がアメリカ国内やヨーロッパを目指す中で、日本の2部リーグからキャリアを始めるという選択は、彼の謙虚さと着実なステップアップを望む姿勢の表れでもありました。

FE名古屋での3シーズン、彼は圧倒的なスタッツを残し続けました。

毎試合のようにゴール下を支配し、チームの勝利に貢献。

 

 

それ以上に重要だったのは、彼が日本の文化や食生活、そして日本人の気質に深く馴染もうと努力したことです。

納豆などの日本食を愛し、日本語の習得にも励む姿は、チームメイトやスタッフから絶大な信頼を得る要因となりました。

この時期の経験が、後の帰化という大きな決断への土台となったことは間違いありません。

信州ブレイブウォリアーズでの飛躍と「B1屈指のビッグマン」へ

2020年、ホーキンソン選手はB1リーグの信州ブレイブウォリアーズへ移籍します。

勝久マイケルヘッドコーチの戦術的で規律あるバスケットボールの中で、彼の才能はさらに開花しました。

信州では、単なるスコアラーとしてだけでなく、献身的なスクリーンや正確なパス、そして外角からの3ポイントシュートなど、その多才さをいかんなく発揮。

 

 

B1の強豪を相手にしてもその実力は群を抜いており、常にリバウンドランキングの上位に名を連ねました。

特に、どんなに苦しい時間帯でも走り続け、ルーズボールに飛び込む献身性は、リーグ全体でも高く評価されるようになります。

信州での日々を通じて、彼は日本のバスケットボール界において欠かせない存在としての地位を確立しました。

日本帰化と「ホーキンソン・サン」の誕生

2023年2月、日本のバスケットボールファンにとって待ち望んでいたニュースが飛び込みます。

ホーキンソン選手の日本国籍取得、すなわち「帰化」の承認です。

彼は日本代表(AKATSUKI JAPAN)の一員として戦うことを強く希望し、そのためのプロセスを誠実に進めてきました。

 

 

帰化直後のワールドカップ・アジア予選(Window 6)で代表デビューを飾ると、トム・ホーバスヘッドコーチの掲げる「5アウト」の戦術に即座にフィット。

走れるビッグマンであり、3ポイントも打て、ディフェンスのリバウンドを確実に抑える彼の存在は、日本代表が長年抱えていた「サイズ不足」と「ゴール下の強度」という課題を劇的に解決するピースとなりました。

2023年ワールドカップの英雄:沖縄で見せた魂のプレー

ホーキンソン選手の名が日本中に、そして世界に知れ渡ったのが、2023年に沖縄で開催された「FIBAバスケットボールワールドカップ」です。

彼は全5試合に先発出場し、平均21.0得点、10.8リバウンドという驚異的なスタッツを記録。

大会のリバウンド王を争う活躍を見せました。

 

 

特にフィンランド戦での歴史的な逆転勝利や、パリオリンピック出場権を勝ち取ったカーボベルデ戦での奮闘は、多くの人々の涙を誘いました。

大会を通じて、彼はほぼ交代することなくコートに立ち続け、疲労がピークに達する第4クォーターでも懸命に走り、ゴール下を守り抜きました。

勝利の瞬間、感極まって涙を流す彼の姿は、彼がどれほど真剣に日本の勝利を願っていたかを象徴するシーンとして、今も語り継がれています。

サンロッカーズ渋谷への移籍とパリオリンピックでの激闘

ワールドカップ後の2023-24シーズン、ホーキンソン選手は新たな挑戦を求めてサンロッカーズ渋谷へ移籍します。

新天地でも変わらぬ安定感を発揮し、チームの核としてリーグ戦を戦い抜きました。

 

 

そして迎えた2024年のパリオリンピック。

世界最高峰の舞台で、彼は再び日本の守護神としてコートに立ちました。

開催国フランスとの激闘では、NBAのスター選手であるビクター・ウェンバンヤマらとマッチアップ。

体格差のある相手に対しても一歩も引かず、2桁得点とリバウンドを記録し、日本代表が世界を驚かせる接戦を演じる原動力となりました。

 

 

彼のキャリアは、単なる能力の高い選手の成功物語ではありません。

異国の地でゼロから信頼を築き、その国のためにすべてを捧げることを決意した、一人の誠実なアスリートの軌跡です。

B.League、そして日本代表のコートに立ち続けるホーキンソン選手の背中は、これからも日本のバスケットボールが進むべき道を示し続けてくれるでしょう。

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