ジョーダンのライバルとしてファイナルでも戦ったクライドドレクスラー

クライド・ドレクスラー

今も尚ポートランドトレイルブレーザーズと聞くとドレクスラーの名前を思い浮かべる方も少なくないと思われますが、ドレクスラーは1983-1998年までNBAでプレーし、伝説ともなっているドリームチーム1の一員としてバルセロナオリンピックで金メダルを獲得しています。

圧倒的な跳躍力でNBAのシューティングガードを象徴するようなセカンドガードですが、あのマイケルジョーダンと年が近く、NBA入団も一年違いなのでずっと比較され続けたプレイヤーと言えますね。

ジョーダン引退後であってもペニーやグラントヒル、コービー、レブロンとファンやメディアはポストジョーダンを探すのに必至な部分があり、選手達はおおいに迷惑している部分もありますが、現役時代からジョーダンと比較され続けるのはそれ以上に大変なことだったと予想されます。

当時は意外にもシューティングガードのポジションで得点を重ねるプレイヤーは少なく、実際にドリームチーム1にも純粋なシューティングガードはドレクスラーとジョーダンの2人だけでした。

 

 

ブレイザーズ入団後、2シーズン目から20点弱のシリーズ平均得点を叩き出す活躍をみせたドレクスラーは、4シーズン目にはその数字は20得点を超え、その後6シーズンに渡り20得点以上の成績を残しキャリアハイでは27.2得点という活躍を見せます。

それでも当時のウェスタンカンファレンスではマジックジョンソン率いるレイカーズが圧倒的な強さを誇っていて、さらにはオラジュワン率いるロケッツ、ストックトン&マローンのジャズなど強豪揃いでプレーオフでは中々勝ち進むことが出来ませんでした。

初めてファイナルへ進出したのは1990年ですが、この時はバッドボーイズと呼ばれたピストンズが全盛時で1-4で敗れてしまい、1992年にも再度ファイナルに出場しますが今度はジョーダン率いるブルズの2連覇にその夢を2-4で阻まれています。

時代が悪いと言えばそれまでですが、今のNBAであっても素晴らしいチームは数多くあるので、NBAにとって谷間の世代というのは無いのかもしれません。

 

 

それにしてもたまらないマッチアップですね。ファイナルでこんなシーンが見れるなんてまさにNBAといった感じですが、ジョーダン相手に素晴らしいオフェンスを展開していますね。

もちろんジョーダンをおさえることはできませんでしたが、やらっれっぱなしじゃなく攻め返すことの出来るプレイヤーは当時でも数えるほどしかいなかったのは事実です。

その後、怪我の影響によりプレータイムも減り、平均得点も20得点を下回る苦しいシーズンとなりますが、94-95シーズンの半分あたりで前シーズンのチャンピオンであるロケッツへ電撃移籍し、大学時代のチームメイトであるアキームオラジュワン等と共にチャンピオンリングを目指します。

その年のシーズン成績はウェスタンカンファレンス6位でしたが、ファーストラウンドで3位のジャズを3-2(当時のファーストラウンドは5戦制)で倒すと、続くセカンドステージではサンズに4-3で勝利し、カンファレンスファイナルではスパーズに4-2で勝利し、ドレクスラー自身3度目となるファイナル進出を果たします。

それにしても、ストックトン&マローンにバークレー、ロビンソンとドリームチーム1のメンバーがいるチームをことごとく倒してのファイナル進出というのはなんだか思うところがありますね。

ファイナルの相手は、ジョーダンの最初の引退復活1年目のブルズを倒して勝ち上がってきたシャック、ペニー率いるマジックでしたが、4-0のスイープという圧倒的な強さを見せ念願のチャンピオンリングを獲得しました。

当時33歳だったドレクスラーは、体力的にも経験値、技術的にもトータルで最もいい時期だったのかもしれません。

通算10度のオールスターゲームに出場し、1stチームにも選ばれ、チャンピオンリング、オリンピックのゴールドメダルを獲得したドレクスラーのプレーは今後も数多くの選手に影響をあたえることでしょう。

 

 

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